この時期毎年恒例の清水寺、今年の漢字は食品偽装の「偽」だそうです。思えばいろいろな不祥事がありましたが、共通して感じるのは当事者の対応能力の低さです。今年だけのことではありませんが、すぐに思い浮かぶだけでいくつか象徴的なことがあります。
雪印食品の社長“私は寝てないんだ”、ミートホープの社長“安いものを求める消費者が悪い”、赤福の社長“早く営業を再開したい”、そして今回の吉兆のもろもろの対応、どれもいわゆるKYとして括れるのではないでしょうか。
特に吉兆の件は憤りを通り越して滑稽です。先の母親が同席した取締役の謝罪会見では、いい年した大人が、それに名門料亭の取締役が母親の指示通りに発言しているとか、その母親の指示がしっかりとマイクに拾われてしまっているとか、そんなこともわからない母親の会社における存在感とか、言葉もありません。
その前の、別の取締役による会見もお笑いです。賞味期限の改ざんなどは一人のパートタイマーの一存で行ったことであるという会社から提示された書類にサインするよう求められたその当事者のパートタイマーがニュースに出て、そのことを記者会見で追求されると、“そのことを否定する資料があります”とのたまわりました。身に覚えがなければ“そのような事実はない”とするのが当然でしょう。これでは“そのこと”を認めた回答になっています。なぜ質問した記者はそれを突っ込まなかったのだろうと不思議でたまりません。
この一連のことを見ていると、残念ながら食に携わる人のレベルの低さを痛感せざるを得ません。そんなことで世間を欺き通せるという感覚が、まさに世間離れしています。褒められたことではないですが、これまでの金融不祥事などで国会の証人喚問までに立たされた経営者の対応を見ると、悔しいながらそうしたヘマ、ドジ、しっぽを捕まれるような発言はしていません。
食に関わる者としては本当に悲しい限りです。何とか責任逃れをするためにとりあえず現場のせいにする初期対応のまずさから、最終的にはどんどんイメージを悪くしてしまう、そしてそのようなことですり抜けられるという世間をなめているとしか言いようのない感覚が残念でなりません。だから料理はおいしいけれどすぐに閉店してしまうお店や、マスコミにちやほやされて天狗になって堕ちていく料理人が後を絶たないのです。
かつての山一証券の社長のように、“私が全部悪い”という経営者が出てこないものでしょうか。もっとも、あの件も特に海外ではその異常さが取りざたされていたようですが。
2007年12月12日
食に携わる者のレベル
posted by bourbon_ueda at 00:00
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| 食をめぐる報道
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