2016年03月13日

フランス人が一番好きな料理

新聞に載っていました。フランスでの調査でフランス人が一番好きな料理は何か、定期的に行われているようです。今回の調査ではいつも第一位だった料理を僅差でかわして、鶏の丸焼きだったそうです。レストランでは「プーレ・ロティ」と呼ばれるものでしょう。

この料理、かつてわが家でもよくやりました。中にいろいろと味付けした米を入れるのですが、むしろ鶏肉よりもそのエキスを吸った米の方がうまい。ちなみにフランス在住と思われるライターのその記事では、ソリレスをぼんじりと間違えて書いていました。新聞に載っていることを鵜呑みしにしてはいけません。これはよくあることです。

そして僅差でかわされた第二位の料理とは鴨のロースト、それもマグレ(ムネ肉)、レストランでいう「マグレ・ド・カナールのロティ」です。こういうところがいかにもフランスらしいです。鶏と順位を争うほど、鴨が一般的な食肉だということです。あとは多分、これも日本では希少なパンタード(ほろほろ鳥)も。

気になって日本人が好きな料理とは何か調べてみたところ、寿司、刺身、ラーメンということでした。わかるような気がしますね。調査にとっては焼肉というのもありました。寿司や刺身はともかく、ラーメンや焼肉は本場のものを輸入して日本独自のものに完成していったものですね。食に限らず、日本はこういうことがとても上手です。

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2015年11月11日

料理研究家の本を読んだ

いつも新聞の書評に載っている本を主に図書館で借りて読んでいるのですが、この度「小林カツ代と栗原はるみ」という料理研究家の変遷を綴った本を読みました。その他にも私が知る限りでは(以下敬称略)飯田深雪、城戸崎愛、辰巳芳子、有元葉子、山本麗子、藤野真紀子、平野レミ、枝元なほみ、土井勝、土井善晴、ケンタロウ、栗原心平、コウケンテツ、などなど。

このように料理研究家と言えばほとんどが女性ですが、この本もその背景としての女性史という側面が強く、また面白いです。そしてこうした料理研究家が紹介する料理は特に最近までは洋食が中心、ということで、各料理研究家のビーフシチューのレシピを比較して記述してありました。これがまた面白い。

特にその黎明期とも言える時代は基本に忠実でクラシックな作り方で、時間も手間もかかります。そこへ革命的な手順を採り入れたのが小林カツ代さん、迷いもなく市販のデミグラスソースの缶詰を使うところがこの人らしいということです。最近は当たり前の時短料理の先駆けという存在だそうです。

そしてもっと驚きは栗原はるみさん、これにトンカツソースやケチャップといった思い切り出来合いの調味料を加えるところです。トマトピューレも煩わしい、ほかの野菜もすでに煮込んであるものを使ってしまえというところでしょうか。

しかしこれらが単に手抜き料理の発想から来ているわけではないということが、この本を読むとよくわかります。一言でいうとこれらのレシピには彼女らの哲学がその背景にあります。それは、彼女らのレシピ本の前書きや後書きを読むと多分わかるようです。何で私はこういう作り方をするのかという思想が、今回読んだ本には紹介されています。

ほかにも、もともとほかの取材で訪れた家の撮影で食器が足りなくなってしまい、たまたま向かいの家に食器を借りに行ったところそれが有元葉子さんの家で、そのクオリティーの高さに驚いたことがきっかけとなったなど、いろいろなエピソードがふんだんに盛り込まれています。この分野に興味のある方には一読をお勧めします。
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2015年01月28日

ついに秘伝の塩水か

「秘伝のタレ」についてはもう何度も書いていますが、ついにマスコミ報道もここまで来たかとこの日思ったのが、BSで放映されていた番組での「秘伝の塩水」です。何でも干物にする魚を漬ける塩水だそうです。

塩水に秘伝も何もあるのでしょうか。タレと同様、液体を表す修飾語として安易に使われているとしか思えません。そりゃ、塩分濃度にそれぞれのこだわりはあるのでしょうが、それを秘伝と形容していいものかどうか。もし伝えるのを秘とするほどの違いがあるのならば、それを言うわけにはいかないけれど何かしらの表現があってしかるべきです。いかにも安易です。

共通するのは物事の本質を考えることを停止してしまっている嘆かわしい現状です。どこかで聞いた心地よい表現を何も考えることなく流用してしまうことの危うさを切に感じます。どうにかならないでしょうかね、この風潮。
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2014年12月30日

あきたシャポンと八ヶ岳

早起きの癖がついており、最近は1時とか2時に目が覚め、3時には起きてしまいます。でも今はこんな時間でもニュース番組をやっており、溜まったビデオとともによく見ています。そこでこの日たまたま見たのは、「あきたシャポン」という鶏です。

何でも比内地鶏というのはすべて雌で、雄はヒヨコの段階で淘汰されてしまうそうです。肉質が硬いということなのでしょうか、そのままでは食用には向かないらしいのです。それではもったいないということで、これを去勢してじっくり育てることで、雌にも劣らない食用肉ができるというのです。このことをシャポン(フランス語です)といいます。

フランス料理で有名なブレスの鶏もこのシャポンがあるようで、今まで雄や雌を区別して食べたことはありませんでした。日本ではこの養鶏技術がまだ確立されていないらしく、ようやく秋田で生産が始まったということです。そして、これをこよなく愛する東京のフランス料理店のシェフが出ていました。

そのお店の名前がまさに「オー・シャポン・ファン」であり(英語のfanではありません)、興味があったので早速調べてみると、何と八ヶ岳にもお店がありました。見ればあぁ、あそこかといった場所で、八ヶ岳倶楽部の下に今年新しくできた店で、存在は知っていたのですがまさかこういうことで接点があるとは。

残念ながら現在は冬季休業中とのことですが、口コミによるとビストロと銘打っているだけあってリーズナブルらしく、オープニングレセプションではかなり有名人が来ていたようです。そこであきたシャポンが出るかどうかはわかりませんが、来年はぜひ訪れてみたいと思いました。
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2014年12月10日

特許は公開するものです

日頃食に関するテレビ番組は欠かさず予約録画しており(関心あるジャンルや報道形態だけですが)、それがたまりたまっていつもハードディスクの容量を圧迫しています。暖かい時期は晩酌がテラスでの炭火焼きなのでそれらを見る前にすっかり出来上がってしまうのですが、ようやくこの時期になって毎晩のように見ることができるようになりました。

また、経営学の講義で毎週東京に行っている際は、勉強のために見るべきテレビ番組として「カンブリア宮殿」「ガイアの夜明け」「がっちりマンデー」の3つを挙げています。そのカンブリア宮殿の以前の番組をこの日の夜に見ました。取り上げたのはベーカリーチェーンのアンデルセンです。

その中で、またまた突っ込むべき内容がありました。何でも、それまで業界で問題になっていたパン職人の長時間労働を改善するために、パン生地を冷凍する技術で取った特許を他社に公開したということです。村上龍さんも「えっ、何でそんなことしたんですか?」と驚いていましたが、もともと特許というものはその取得以前にすべて公開されるものです。

詳しく記すと、特許を出願してから1年半経つと出願先である特許庁により「こういう発明が出願されました」という内容が公開されます。つまり発明の秘密が当局により公にされてしまうわけです。この出願公開制度というものがなぜあるのかというと、同じような発明をしている人たちに早く知らしめることにより、その後の無駄な研究開発のエネルギーを他に向けてもらうためです。日本の特許制度は先に出願した人に権利があるという先願主義ですので。

そうするとその発明の内容を真似する人が当然出てくる可能性があります。しかも出願段階で公開されるので、その後の審査を経て正式に特許権が得られる前に真似されてしまうわけです。それを防ぐため、そうした真似をした人に対して後に補償金請求権というものが特許権者に認められています。そしてもちろんこれは特許権者ということなので、その特許が成立した後でのことです。審査の過程で認められないという可能性もありますからね。

したがって今回の番組では公開自体はされるのが当たり前のことなので、誤解を与えかねません。おそらく正確には公開された特許の使用を無償で認めたという意味であろうと思われます。通常は特許の使用(発明の実施といいます)についてはライセンス契約により有償とするのに対して、わかりやすい「公開」という表現にしたのではないでしょうかね。

実はこうした法律講義を東京の学校で長年しているので、これは黙ってはいられなかった一件です。特許は発明を保護するものですが、その発明の内容は今はネットで簡単に見ることができます。ただしそれを真似すると直ちに特許権の侵害となり、損害賠償等を請求されますのでお気をつけ下さい。もっとも、特許には期限があるのでその後は自由に使ってもいいのですけれどね。
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2014年01月30日

ジュとはこれです

少し前の「日経レストラン」で、どこかのシェフが何かの料理の作り方を解説している中、“ジュの作り方”なるものを披露していました。どこでどう間違えて覚えたのか、ジュとは肉を焼いたときに出る焼き汁のこと、その説明は骨を焼いて香味野菜とともに煮出すなど、ジュではなくフォンの作り方になっていました。

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そのジュがこれです。肉のうま味を含んだ水分と脂、あらかじめ付けた調味料の味がこの液体に出ています。焼いた肉料理ではもっともシンプルなソースであり、羊や鳥(鶏だけでなく)料理ではよく用いられます。

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これはいつものコストコの丸鶏、いつもの食べ方です。

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普段は渋みが強くて重いワインを好む私たちですが、この日は鶏なのでこのサンタ・クリスティーナ。どうもワインの名前にはサンやサンタといった聖人を表す言葉が多いですね。

うるさいと思われるかもしれませんが、こうした言葉の誤った用法については黙っていられません。言葉の意味は時代とともに変わるなどという論調もありますが、そういうレベルではないと思っています。
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2013年11月20日

安全と安心は違う

近頃似たような言葉をどのような状況でも並べてワンフレーズとしているのがどうも気になります。目立ち始めたのは震災後の「復旧復興」であろうかと思います。そしてそれ以上にいつも気になるのが「安全安心」です。以前からありましたが最近また食品偽装の問題で目立ち始め、先日は官房長官もこの表現を使っていました。

そもそも安全と安心は別ものです。安全だから安心とも言えますが、安全だけれど安心ではない、安全ではないかもしれないけれど安心であるというのもあるわけです。安全とは客観、安心とは主観です。科学的に身体に害が及ばないというのが安全で、それを個人が証明するのは困難です。ですが安心は気の持ちようなので、個人の判断で足りるわけです。

なので、当局が大丈夫と言ってもどうも信用できないというのが安全だけれど安心ではないということで、よくわからないけれどこの人(店)なら大丈夫というのが安全ではないかもしれないけれど安心ということです。ですから状況に応じてこれらを使い分けなければいけないわけで、何でもかんでも安全安心とつなげることに大きな違和感を覚えます。

今回の食品偽装(巷では誤表示などと言っていますがそうは思いません)の件では、その安全性が問われているわけではないはずです。あくまでも信用問題なので、安心できるように対応すべしというのが正しい表現です。どうも言葉一つ一つの意味をあまりよく考えずに、一つの流行のようにフレーズが一人歩きしているようでなりません。

似たような言葉を並べるという語法は、それぞれの言葉の意味を希釈するという効果もあるかと思います。極端に言えば、二つの言葉でワンセットなので結果的にどちらか一方が欠けていてもそれは達成したことになるという、確信犯的な用法です。その意味でビジネスの場でよく気になる表現が「等々」です。これだけではありませんよ、ほかにもあるでしょ、でも明らかにしませんよという逃げのように感じます。
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2013年11月07日

納得価格のピザ店が増えてきた

ピザ(正確にはピッツァ)はおそらく誰もが好きな料理でありながら、いや、だからこそなのか、巷のピザ店はどこも値段が高いなぁとずっと思っていました。原価構造はよくわかるし、いわゆる儲け筋商品という位置付けなのか、以前イタリア料理店を開きたいというシェフとの会話で、「ピザをやりたい」「なぜですか?」「儲かるから」というものがありました。

そうした状況をわかってか、消費者のフラストレーションが溜まるところにはビジネスチャンスがあるもので、ここに来て立て続けに低価格というか納得価格のピザを出すお店が増えてきました。報道ベースではありますが、私が知った順にまとめておきます。

・ピッツァマン(大井町)
中目黒の名店サヴォイ(現在は聖林館)の主人によるお店。ピッツェッタ(小さいピッツァ)が350円から。本人曰く、「ピッツァとは本来こういうもの」。

・タランテッラ・ダ・ルイジ(白金)
ここは本格的な有名店ですが、マリナーラが500円。理由は「チーズを使わないから」。納得、他店も見習ってほしいものです。

・ピッツァ・ナポレターノ・カフェ(高円寺)
吉野家が展開するピザ専門店。牛丼店の中でも一点集中戦略だったのが、BSE騒ぎで大きなダメージを受けて、多角化に舵を切っているようです。

・バール・センプレ・ピッツァ(荻窪)
25cmのピッツァが400円〜ということでしたが、お店によっては280円というメニューもあるようです。そう、すでにもう数店舗展開しています。

・ソロピッツァ・ナポレターナ(名古屋)
連日が行列ができる地元の人気店のようです。やはりマリナーラが350円、マルゲリータは550円。ナポリでは1枚3〜6ユーロということで、まさにその水準ですね。

東京に住んでいた頃なら迷わずハシゴしている各店ですが、どうしましょう。東京には仕事でしょっちゅう行っているので(最近は週3日ペース)、考えてみましょうか。
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2013年08月22日

名のあるシェフが意外な処で

以前東京や横浜に住んでいた頃はよくあちこちのフランス料理店に行ったものでした(ピーク時には年間50軒、週一度のペースです)。そこでは食べるのももちろん、よくそのシェフと話をしたり、時には仕事で関係することもありました。ですからその当時のシェフの方の名前はよく覚えていて(面識のあるかないかに関わらず)、逆に最近マスコミに登場する若手のシェフは同じジャンルでもさっぱりわからないということがしばしばです。

そこで最近、テレビを見ていてあれっと思ったことが二度ありました。一つはかつてクラブ・デ・トラントというシェフクラブに所属していて、その後脱退してなぜかフランス料理をやめて魚の店を開いた(と言ってもフランス料理ベースでしょうが)という話を聞いていたOシェフ、先日見たら「俺のフレンチ」のスタッフになっていました。

もう一つはやはりシェフクラブのクラブ・ミストラルという団体に所属していたNシェフ、今回見たら何と平田牧場の直営レストランでトンカツを揚げていました。同じ洋食店にスライドすることはよくありますが、まさか一応日本料理に分類されるトンカツ店とは(トンカツの由来はイタリアのカツレツですけれどね)。

いずれにしても思うのは、個人店の営業の難しさです。Oシェフは代官山、Nシェフは渋谷に店を構えていました。当時(と言っても10年以上前)はそれなりにマスコミなどに取り上げられていましたが、その後いろいろな経済状況もあって低迷したとは思いますが、少し中身を知っている身としては厳しいようですがやはり消費者に受け入れられるだけの価値を提供していなかったことに尽きると思います(実際に食べに行きましたから)。

今やうまい料理を出してさえいれば成り立つという時代ではありません。その意味ではいずれも食のマーケティングの世界に巻き込まれた形となったようですが、いずれももともと腕はあるはずなので、新天地でそれを発揮して奮起してもらいたいと思います。特に知っている方たちなので。

ところで、そのNシェフから当時聞いた話を一つ。フランスでかのジョエル・ロブションのもとで修業したそうです。今ではフランス料理界の神様のような存在のロブション氏ですが、その当時のフォン(いわゆる出汁です)は市販のコンソメを使っていたそうです。その真偽のほどは定かではありませんが、その話を聞いたことは紛れもない事実です。
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2013年07月20日

ハムとベーコンの違い

日頃食に関するテレビ番組は基本的に予約録画をしており、後日の晩酌の際に肴として観るのが日常です。ですが時にはその録画の時間帯に晩酌が重なることがあり、この日も「満点青空レストラン」をリアルタイムで観ることとなりました。ところがです。

今回のテーマはハムなのですが、その中で「ハムとベーコンは作り方はまったく同じ、部位によって名前が違う」などというとんでもない説明がありました。何でもロース肉で作るとハム、バラ肉で作るとベーコンだということですが、思わずおいおいと叫んでしまいました。

ハムとベーコンの違いは製法の違いです。ハムは燻製した後(燻製しない生ハムも、あるいは生ハムの中でも燻製するものもありますが)ボイルあるいはスチームで火を通すのに対し、ベーコンは燻製の熱だけで火を通します。部位の違いだけというのはいかにも乱暴で、例えばバラ肉を使ったハムであるベリーハム、ロース肉を使ったロースベーコンもあります(ほかにはともに肩ロース肉を使ったショルダーハムやショルダーベーコンも)。

この情報の出所はどこだかわかりませんが、例えば今回の生産者がそう勘違いしていたのであればテロップで注釈を付ければいいわけです(ちなみにそうしたパターンは結構よく見ます)。いつも書いていますが聞いた情報を鵜呑みにして検証もせず、あるいはその前にそれが正しいかどうかの見識を持たない立場の人が番組製作をしてはいけないわけです。マスコミュニケーションなのですから、これをベースに間違った知識を得る人が全国にたくさん出てくることをぜひ自覚してもらいたいものです。

今回の生産者は燻煙だけで加熱していたので、あれはハムではなくロース肉のベーコンです。しかし一番大きな責任があるのは番組製作会社であり、それを容認した放映テレビ局です。よくよく反省してもらいたいものです。
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2013年07月17日

チーフシェフはやめてくれ

日頃食に関するテレビ番組をよく見ますが、間違った言葉遣いがどうも気になります。この日もBSをザッピングしていたらたまたま出くわしました。フランス人が日本のテレビを見て、どの時間帯でもどこかの局で食に関する番組を放映しているのに驚いたという話を読んだことがありますが、まさにその通りです。

傾向として共通するのは、外来語の重複表記です。今回見たのは「ポモドーロトマト」というものでした。もともとイタリア語でトマトがポモドーロなので、これではトマトトマトになってしまいます。どうもポモドーロという品種のトマトという意味で使っていたようですが、とんでもない間違いです。これもいつものように、あまり言葉の意味を考えずに使った結果です。

それで以前から気になっていた言葉を思い出しました。ときどき見聞きする「チーフシェフ」という表現です。これもフランス語でシェフはチーフの意味なので、これではチーフチーフになってしまいます。料理長ということを言いたいようで、どうもシェフという言葉が料理人の意味であると思っているようです。例えば菓子職人のトップのことをシェフパティシエと言いますが、その意味だとお菓子も作れる料理人という使い方がされそうです。

以前ポタージュスープという言葉については書きましたが、これも重複表記の一例です。いずれも外来語を用いる際は何となくその音の響きやイメージだけで安易に使うのではなく、もともとの意味を考えて使ってもらいたいものです。海外でも通用する人材育成を掲げていながら、これでは海外で笑われてしまいます。
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2013年04月04日

真空調理で余分な脂?

以前「余分な脂を落とす」という表現については書きましたが、「秘伝のタレ」とともにあまりにも安易に使いすぎではないでしょうか。これまでも何回か書いている「食彩の王国」、もういい加減にして下さいという感じです。

今回のテーマは江戸甘味噌ということでしたが、フランス料理のシェフがフォアグラにその味噌を付けて真空調理していました。そこで出てきた表現が「こうして余分な脂を落とす」です。真空調理で脂が落ちるのでしょうか。うま味を閉じ込める技法なので、脂だけが外に出て来るとは思えないし、フォアグラはもともと脂の塊なのでその“余分な脂”とは一体何なのでしょうか。

思うに、食材に火を通すこと自体(特に肉や魚)、その効用が脂を落とすことであると勘違いされていないでしょうか。だったら霜降りの牛肉のステーキも、脂を落とすことが目的で焼いているのでしょうかね。あまりにもステレオタイプ、食に関するボキャブラリーの貧弱さを感じます。もとより、本質的な意味をよく考えずにどこかで聞いたようなフレーズを多用することの意識の浅さが問題です。

もともと真空調理(スービット)は、フランスの長距離列車において限られた厨房施設で質の高い料理を提供するために考案された技法とされています。最近は街場のレストランでも肉を焼く際には高温にせず、じっくりと優しく火を入れる調理法が実践されているようです。なので、本来は奥深い技法をこう安易な言葉で片付けられてはかないません。頼みますよ、番組製作会社さん。
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2013年03月23日

早すぎる桜エビ、と思ったら

この日たまたまテレビで見ていた伊豆の旅番組で、「桜エビは今が旬!」などと聞き捨てならないことをナレーションしているので、またいい加減なことを言って困るなぁと思っていたら、念のため調べてみると今年は2週間も漁の解禁が早い異例の事態でした。いつも春漁は4月からのイメージがあったので、早とちりしてテレビ局に苦情の電話をかけなくてよかったです(かけたことはありませんが)。

それにしても旬と走りは違うはずです。毎年春漁でも秋漁でも解禁直後は条件が揃わなくて出漁しないことが多く、獲れたとしてもまだ十分に個体が生長していなく、味も栄養も最高潮である旬とは違うと思います。例年解禁から1ヶ月くらいしないと安定しないと言われるのに、単純に獲れる時期になったからといって「今が旬」と報道していいものなのでしょうかね。

ちなみに桜エビの食べ方としてはかき揚げが定番ですが、よくある乾燥ものと比べて、生の、それも朝獲れたてのかき揚げはまったくの別ものです。毎年なかなかうまくタイミングが合わないのですが、今年も機会があれば最大限現地買いにチャレンジします。流通に乗ってくるものは、同じ生でもこれまた全然違います。やはり現地に行かないと。
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2012年12月30日

その日揚がった本マグロ?

好きなので食に関するテレビ番組は欠かさず見るようにしています。以前何かで読んだ話ですが、フランス人の友人が日本に遊びに来て、一日中どこかの番組で食に関することを放映しているのにびっくりしたということです。“食べることには絶対に手を抜かない”という枕詞がよく付くフランス人にとっても、日本における食情報の氾濫は驚きだったようです。

食は奥が深く、これだけ積み重ねてもまだ知らないことも多い中、逆にいい加減もうやめてくれといった表現がいくつかあります。このブログでも何回か書いていますが、共通するのはあまりその意味を考えずに使うステレオタイプの表現です。これまでには「秘伝のタレ」や「余分な脂を落とす」について記してきました。

今回は新鮮な魚介類を表す「その日揚がった魚」です。確かに海辺の料理屋や旅館などではそれもよくありますが、問題はその魚の種類です。そのお造りの中に本マグロが誇らしげに紹介されていました。日本でその日揚がった本マグロが食べられるのは大間とか沖縄くらいしか思い当たりません。しかも紹介されていた宿はそうしたマグロ水揚げで聞いたことがある土地ではありません。

マグロは遠洋漁業が主流で、船内でマイナス60度に急速冷凍されて日本に水揚げされるのが通常だと思います。その入港地として三崎とか焼津が有名になっているのでしょう。鮨屋さんによっては2週間も熟成させるところもあったりして、特にマグロは新鮮さが売りものにはならない魚だと思っています。

一般に、多くの魚の活き作りがあまりおいしくないのは、うま味のアミノ酸が増えるまで締めてから24〜48時間と言われるところによります。活き作りは味より歯ごたえを楽しむ料理のようです(白身魚はそうでもないらしいですが)。ですから何でも獲れたてが良いといった画一的な表現に失笑してしまうわけです。いつも書いていますが、あまりよく考えずに台本を書いているとしか思えません。

マグロといえば、今年の正月には初物をたいそうな高値で競り落とした鮨チェーン店が話題になりました(あのレディーガガさんが行ったお店です)。テレビ番組で軒並み紹介されたことから、広告宣伝効果としては十分であったという見方が一般的です。さて来年はどうなるやら。
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2012年11月23日

厨房で割ってしまった皿の対処

客単価が張るレストランでは、供する皿自体にもそれなりに高いものを使っています。それをオーナー自らならまだしも、働いているスタッフが忙しさのあまり厨房で割ってしまうことが度々あります。そこでオーナーはどうするか、これまで聞いたその対処方法の開きに驚きます。

大きく分けると怒るか怒らないか、割ってしまったスタッフを厳しく叱責するシェフもいました。また、その実費を給料から差し引くというオーナーもいました(労働基準監督署に駆け込めばおそらく認められないでしょうね)。その一方、割りたくて割る奴はいないのだからしょうがないとやり過ごす人もいます。

最近テレビで何回か連続で放映していた「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」の落合シェフは後者のようで、先日も高いお皿をいっぺんに20枚も割ったことがあったそうです。怒りたくもなるでしょうが本人も謝っているし、割った皿が元に戻るわけでもないから泣く泣く「次から気を付けろよ」というしかなかったそうです。覆水盆に返らずという言葉は私も好きですね。

人材の流動化が激しい飲食業界においてこの落合さんのお店はなかなかスタッフが辞めないそうで、一番長い人で21年も一緒に働いているそうです。いくらマスコミに取り上げられるなどで有名でもその対極にあるお店もあり、また同じ業界で(料理ジャンルとして)やはりなかなかスタッフが辞めないお店もある中で、それはひとえにオーナーの人柄だなといつも思います。ちなみにそのようなお店が必要もない多店舗展開をしているのは、そうしたベテランスタッフにトップを任せる意味合いであるというのも共通しています。

加えて、落合さんのお店が成功している理由の一つは、経営的には当たり前のなのですが徹底して顧客の立場に立って考えているということです。その一環で、調理スタッフには必ずホールスタッフを経験させるということで、よくある調理場とホールの仲が悪いというのは思い切り内輪の論理であり、顧客目線ではないわけです。これができていない飲食店が実に多く、いまだにうまいものさえ作っていれば客は満足すると勘違いしている料理人が存在します。

また、よくよく話を聞いていると経営的には若干常識離れしているところもあるのかなと思います。店舗面積や客席数に比べると異常なほどのスタッフの多さ、料理長はオーナーシェフよりも給料が高い、まかない料理には店内にあるどの食材を使ってもよいなど、今話題の「俺のフレンチ」ではありませんが、高回転率がなせる技であろうとは思います。

が、いつも一消費者としてもコンサルタントとしても外食産業(特に個人店)の値付けが理不尽に高いと思っているので(その内部の経費構造を知っているので)、結局顧客に支持される店づくりというのはこういうパターンもその一つではないかと思っています。実際、落合さんは「レストラン経営なんでやるもんじゃない、全然儲からない」「自分はお店が有名になったことによって講演や執筆などの仕事で食っている」と言っています。

「企業は人なり」とよく言われます。ましてや人の要素がことさら強いサービス業にあってはその意味もより大きいです。割れた皿のことで目先の経費に目くじらを立てるより、もっと大局観を持って飲食店経営にあたったら、よりお客さんにも喜ばれるお店になるのではないかと思います。
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2012年11月15日

料理バカのお店が嬉しい

以前横浜のあるフランス料理店のシェフが言っていた、「こんな仕事をしているなんてバカしかいないですよ」という言葉が今でも印象に残っています。確かに長時間労働で休みもろくにない、一日中陽も当たらない場所での立ちっぱなしの仕事、好きでないとやっていられません。おまけに特に下っ端は低賃金、フランスなどで星付きのレストランで修業する若者は今でも無給で働いているそうです(その代わり経歴にハクが付きますからね)。

よく仕事が目一杯で自宅に帰る余裕がなく、店に寝泊まりをしているという話を聞きます。私の大好きな「サラマンジェ」の脇坂さんも特に開店当初はそうだったようですし(今は知りませんが)、先日のテレビで見た「ル・マンジュ・トゥー」の谷さんもそういう生活を今も送っているようです。ちなみにこのお店はずいぶん前に訪れたときと違い、店内外も改装され、スタッフも増え、価格帯も上がり、営業時間も限られたようです。

それにしても嬉しいのは、業界でメジャーな存在になっても無闇に店舗を増やさないことです。自分の目の行き届かない範囲には広げないという哲学に好感が持てます。正確な情報はわかりませんが、私の今知る限りこの路線をフランス料理で行っているのは「北島亭」の北島さん、「ラ・ブランシュ」の田代さんであり、このお三方は「フランス料理にもの申す」という本で鼎談を行っています。

この谷さんについてはもう一つ、専門学校での講義の話が思い出されます。各地の調理師専門学校ではよく外部講師を招きますが、街場の料理人が赴くと本来の人材育成という目的と外れて単に自分のスペシャリテを披露しているだけだと指摘していたことがありました。谷さんはそうした場に行くと料理の話の前に店の運営や経営者としてのあり方の話を延々とするそうです。ただうまいものを作っているだけではダメだというその思想には大いに共感でき、本来の人材育成の目的にも叶っていると思います。

一消費者にとってはお客さんを喜ばせることよりも金儲けに走る料理人のお店ではなく(誰とは言いませんが)、こうした良い意味での料理バカのお店に行きたいものです。良い意味というのは、料理しか知らない専門バカということではなく、料理にこれほどまでもエネルギーを注ぐのかということで、そういう人は得てして料理以外にも通ずるところがあると思います。

思えばジビエの季節、しばらく食べていないジビエ、田舎暮らしの今となっては改めてどこで食べようかと急に悩み始めました。
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2012年10月24日

にわかスイーツ男子、断念!

妻からは「あなたの見た目でスイーツ好きですなどと言うときっと受けるよ」と言われたことがあります。さながら的場浩司さんの路線ですね。ところが私は完全な左党、甘いものにはそれほどこだわりはないのです(まったく食べないとか、何でもいいというわけではありません)。

しかしなぜかここに来て、季節的にカボチャのプリンを作りたくなりました。ハロウィンを迎え都会を始めとした店頭では盛り上がっていますし、ちょうど先日もテレビでカボチャのプリン、カボチャのマドレーヌの作り方を放映していたので、録って見てみました。

結果、何となくはわかっていたそれらの作り方を改めて見て、やはり自分にはお菓子作りは向かないなと思い、あっさり断念しました。材料は大したことないのですが、その過程が繊細で手間がかかります。お菓子屋さんの利益率が高いこともこれでわかり、よく1度とか1gが違うだけでダメだという話も納得できます。

ところで先日急に、マドレーヌとフィナンシェの違いは何だろうという疑問が頭に浮かびました。調べると主な違いは卵とアーモンドプードルのようです。マドレーヌは全卵、フィナンシェは卵白、マドレーヌにはアーモンドプードルは使わないがフィナンシェには使う、総じてフィナンシェの方が上品なイメージということでしょうか。

ところでアーモンドプードルという名称もおかしなものだなと思います。アーモンドは英語、プードルはフランス語ですよね。プードルは英語ではパウダー、アーモンドはフランス語ではアマンドです。ですからアーモンドパウダーかアマンドプードルということになるのでしょうが、なぜは料理界ではアーモンドプードルと言っています。

アマンドといえば、六本木にももうしばらく行ってないですね。まあ行きたいとも思いませんが。

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2012年09月17日

カボチャの上と下という表現

食に関するテレビ番組は欠かさず見るようにしていますが(もちろん興味あるテーマだけですが)、先日は最近よく出る「築地御厨」の内田さんが“カボチャの上と下では味が違う、上は甘いが下は味が薄いのでそれぞれ調理法を変えた方がよい”というような発言をしていました。思わず「ん?」と考え込んでしまいました。

トマトが良い例ですが、果菜は実の先から熟していき、茎とつながっている部分が熟すのは最後です。したがって実がなっている状態では下の方がよく熟して味があり(なので下の方から腐ります)、上の方の熟しは遅いので味が薄いというのが私の認識です。

カボチャが逆の熟し方をするとは思えませんし、ひょっとするとスーパーなどで売られている姿の上下という表現をしたかもしれません。普段よく意識して見ていませんが、売場ではカボチャはヘタの部分を下に、実の先の方を上にして置かれているのかもしれません。その上下のことでしょうかね。

だとしても生産者の上下と消費者の上下が異なっているとすれば、例えばヘタの方とかお尻の方という表現にした方が混乱は少ないと思います。結局どちらがどうなのかわからずじまいでしたが、今度そのことを意識しながら味わってみようと思いますと書きたいところでしたが、今年作ったのは縦に細長いすくなカボチャでした。さてどうしましょう。でも同じことか。
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2012年06月19日

たまに大げさな自主回収

新聞の社会面の下の欄には、企業の合併や株式の公開買い付けといった公告のほか、ときどき食品の自主回収の情報が載っています。この日の自主回収はアレルギー表示の誤りということでこれは一大事ですが、たまに“そこまで自主回収しなければならないの?”と思うことがあります。

正確には忘れましたが、例えば「内容量が200gと表示のあるところを210g入っていました」とか、「中国産うなぎと表示のあるところを国産を使っていました」といった類の件です。いずれも消費者にとってはラッキーと思えるような内容で、それでも誤りは誤りで対応しなければならないのでしょうかね。

リスクマネジメントの概念はだいぶ普及してきたようで、個人でも企業でもミスは完全には防げない、その後の対応をどう適切に行うかが重視されるようになってきました。これでいつも思い出すのは某大手メーカーの某社長の一言、「私は寝てないんだ!」ですね。

家電メーカーでは数年前に起こった松下電器産業の石油ファンヒーターの欠陥に対する対応が、その後の雛型になってきているような気がします。頻繁なテレビでの告知など、その回収費用は10億円単位でかかったという話を聞いたことがあります。他のメーカーもこれにそっくりなテレビ告知をしているところがありましたね。

いずれにしても命に関わることですから、特にその意識の低さをたまに感じる食関連業界の方たちはよくよく気を付けていただきたいものです。以前薬害肝炎の問題で厚生労働省の役人に対して放った、「もう少し想像力を働かせたらどうなんですか?」という言葉を思い出します。
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2012年06月09日

余分な脂を落とす?

食に関するテレビ番組を見ていて、いつも気になる表現がいくつかあります。その一つが「余分な脂を落とす」です。鶏肉の皮目を焼いている時などに多いですが、それ以外にも肉や魚に最初に火を通す際によく使われます。本当に余分な脂なのか?と思い、であればもっと脂の少ない食材にすればいいのに、などとつぶやいています。

しかしこの日見た番組では驚きました。静岡県三島市にある私たちも行ったことのある鰻屋さんの話です。全国から厳選された鰻を仕入れ(これもステレオタイプの表現ですが養鰻しているところは全国にそうないはずです)、3日間富士山の伏流水で泳がせ、“余分な脂を落とす”のだそうです。泥を吐かせるためなどならわかりますが、それって単に痩せさせているだけではないのでしょうか。

そして鰻屋さんなので嫌な予感がするなと思っていたら、やはり出ました秘伝のタレ。もううんざりです。テレビにしても雑誌にしても、言葉一つ一つの意味を考えながら使ってほしいものです。どこかで聞いたようなフレーズをつなぎ合わせるという作業の安直さが感じられて辟易とします。

食材の表面を焼いたり炙ったりするのは、例えばフランス料理のリソレという技法のように調理上の合理性があるはずです。それを一律に「余分な脂を落とす」といった表現で片付けてしまうのはやはり安直です。料理を知らない人が文章を書いているなと思うことしばしばです。

リソレといえば、同じようにステレオタイプで出てくる「うま味を閉じこめる」とか「おいしさが凝縮する」といった表現がありますが、これも見る度にもっと正確な解説をすればいいのにと思うことがあります。これらについては機会があればまた。
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2012年02月06日

また出たな三國シェフ

誰か周りに止める人がいないものかと思う、またの一言です。NHKの「キッチンが走る」という番組で、地元山梨を三國シェフが訪れるということで録画して見てみました。またやっていましたよ、「火を通して新鮮、形を変えて自然」。だから先に記したように、これを三國さんが自分の言葉としてはいけないわけです。

でもと言っては失礼ですが、料理はおいしそうでした。素材を変にこねくり回すのではなく(巷の料理コンクールではそうしたことがよく指摘されています)、素朴でいながらフランス料理の技法をきちんと踏襲した料理は好感が持てました。個人的にも食べてみたいと思いました(作っている様子を見てそう思わない料理が多いということです)。

四谷の「オテル・ドゥ・ミクニ」には以前仕事で入ったことはあるけれど食べたことはないというお店ですが、三國さん自身の性格は良さそうなので、多分料理は良いと思います(性格が料理に出るということは以前にも書きました)。ただ、無理して難しいことを言わないことだと思います。以前、「日本のフランス料理界をクラリフィエしないといけない」と専門誌に出ていました。クラリフィエなどと言わなくてもいいのに、学歴コンプレックスがあるのかもしれませんが、張り子の虎が透けて見えてしまうことがこの人には時々あります。

素朴さを地でいっているのが三田の「コート・ドール」のシェフ、斉須さんです。最近の雑誌でもいまだに第一線として評価されている名店ですが、私たちの印象は八百屋のおやじ、バカボンのパパ、決して客席に出て来ない控え目な存在です。それでもあれだけ洗練された料理を作るのですから、シェフの見た目だけをチヤホヤする最近のマスコミの姿勢に大いに疑問を感じるところです。

それにしても三國さんのあの言葉、どこかで修正されないかな。
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2012年02月05日

テリーヌじゃないだろっ!

テレビ番組の「食彩の王国」、いい加減にして下さい。これでこのブログで指摘するのは3回目です。

この前の日の放送、テーマはシジミでした。京都にあるイタリア料理店が取り上げられていて、シジミを使ったいろいろな料理が紹介されていました。その中で、琵琶湖のマスと生クリームをフードプロセッサにかけて、シジミとそのエキスを合わせて容器に入れ、オーブンで蒸すという料理がありました。問題はその容器です。

料理名は「テリーヌ」とありましたが大間違いです。容器がテリーヌ型ではなく、大きめのココットでした(ちなみにストウブでした)。テリーヌやココットやグラタンは、料理名であるとともに元はみな器の名前です。ですからその器で加熱した料理でなければ、その器の名前を使ってはいけないわけです。

そうは言っても、お店でそういう名前で出しているからという言い訳があります。であればもともとの非はお店にあるわけですが、より重要なのはマスコミとしてそのチェック機能が働いていないことです。お店ではそう言っているけれど本当は違うでしょと指摘する機能が、本来マスコミにはあるべきです。何しろマスコミュニケーション、大衆伝達なのですから。

もしお店の間違いを気付いていて、それを例えば表現の自由だからといった理由でそのまま流しているのは、マスコミの役割を放棄しているとしか私には思えません。本当の情報をわかっていてそれを伝えないことが、果たして良心の呵責に駆られないものでしょうか。

何しろ心配するのは、こうした料理のことをテリーヌというのだという間違った認識が広がることです。ホテルエドモントの中村勝広シェフが、クラシックな料理は技術の宝庫だと改めてその重要性を指摘していますが、まさに洒落た言葉だけが浮揚するのではなく、そもそもの意味を踏まえた表現というものが必要だと切に思います。
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2011年11月25日

バケットではなくバゲット

毎週食に関するテレビ番組は欠かさず録画して見るようにしています。その中の一つが「満天青空レストラン」で、以前イオンの提供で「たべごろマンマ」という番組があり、今のスポンサーはサッポロビールになっているようですが、おそらく番組製作会社が同じなのでしょうか、そっくりの構成になっています(ちなみにテレビ番組製作会社は通称下請法と呼ばれている法律で定義されている典型的な業種です)。

特にNHKではよく見られますが、出演者が発した間違った言葉を正しいテロップにすることがあります。これが日本語の間違いかどうかは最近議論があるようですが、例えば「見れる」と言ったのを「見られる」と字幕を流すことです。しかし明らかな間違いなのに、これを訂正しないパターンがその番組で最近ありました。

出演者が「バケット」と言っているのをそのまま「バケット」とテロップしてしまったことです。原語はbaguette、フランス語とはいえ明らかに濁音です。実は巷のパン屋さんにもこうした表記が多いのですが、こういうことは味と無関係とは言えないといつも考えています。私たちがおいしいと思うパン屋さんは例外なく「バケット」とは書いていません。これがお店を判断するバロメーターともなっています。

バケットというフランス語があるのかわかりませんが、英語でいうとbucket、バケツです。パン屋さんでバケツは売っていないでしょう。いずれにしても、何回か書いているように問題の本質はマスコミの情報伝達レベルです。食べ物の専門番組であれば一つ一つの言葉遣いについてチェックしたり修正したりする機能と能力を持っているべきです。まさにマスコミュニケーションなのですから、これが大衆伝達されては困るわけです。

最近回転寿司業界でトップに立ったスシローでは、「アボガドではない、アボカドである」という表示がされています。これも同じパターンなのですが、いまだに「アボガド」というPOPがあるスーパーが多いですね。残念しきりです。
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2011年11月01日

ポタージュスープという言葉

関ヶ原の戦いが西暦1600年に起こったことは誰でも知っていますが、それを実際に見た人は今いません。それでも誰もが自分の知識としてこのことを語れるのは書物などによる多くの情報に接しているからであり、それだけ皆が言うのだから間違いなかろうということで「事実」として吸収されるわけです。ですから、それほど多くの情報に接していない場合はまだ自分の知識として他人に伝えるだけの“強さ”はないわけで、「〜ということらしい」「〜と書いてあった」というような表現にとどめるべきです。「無知の知」という言葉が私は好きですね。

前置きが長くなりましたが、マスコミ始め巷の料理名や商品名で大変多く見受けられるのが「ポタージュスープ」という表記です。日本ではスープが総称で澄んだものをコンソメ、とろみが付いたものをポタージュと呼ぶことが一般化していますが、ポタージュとはもともと日本で言うスープの意味で、総称です。これは自分の知識として断言できます。

それでもフランスにはポタージュとスープという両方の表記があります。その違いについて私が接した情報によると、もともとは硬いパンを煮汁に浸して軟らかくしたそのパン自体を、転じてその煮汁を指すようになったのがスープという言葉のようです。やがて中世の貴族社会で庶民の食べるスープと差別化したものをポタージュと呼ぶようになり(語源は鍋を表すポから)、それが総称となったようです。

ふと考えてみると、フランス料理でスープと名の付くものはオニオングラタンスープ(もちろんこれは英語でフランス語表記は別)とスープ・ドゥ・ポワソン(魚のスープ)くらいしか一般に目にしません。いずれも原価が安くて手間のかかるビストロ料理であり、高級レストランではまず見ないような一品です。ほかにはスープ・ピストゥーやスープ・ペイザンヌといったものがありますが、なるほどいずれも家庭料理のような一品です。

もちろん日本では独自の言葉遣いがあっていいではないかという向きは否定しません。日本国内でも地方によって料理の名前が一般的な言葉遣いとはかなり違うということがありますから、それはそれでいいのです。気を付けなければいけないのは、もともとの意味を知らないで日本での言葉遣いが正しい、あるいはすべてであるといった傲慢さです。例えば、現地に行ってpotageという表記のある料理を頼んだのにスープにとろみが付いていなかった、あそこの店はまがい物を出すなどといったとんだお門違いです。

スープ屋としては日頃どうしても気になる一件でした。
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2011年10月10日

旬とおいしい時期は違うらしい

テレビの料理番組を見ていたら(正確には聞いていたら)、カボチャ料理をやっていました。講師曰く、「カボチャの旬は夏ですけど、おいしくなるのはこれからなんですよ」。確かにカボチャやイモ類は穫れたてよりも、しばらく置いておいた方がおいしくなります。でも旬とはおいしい時期ではなくて、収穫できる時期のことをいうのでしょうか。

ほとんどの野菜は旬=おいしくて栄養価も高いということになると思います。しかしこのように、旬でないけれどおいしい、旬ではないからおいしいとおかしな表現にもなってきます。あくまでもおいしい時期ということ中心に考えると、ジャガイモの旬は冬、夏の収穫期は言わば新ジャガの旬でしょうか。

これは米にも同じようなことが言えます。新米は確かに瑞々しくておいしいけれど、深い味わいとなってくると数ヶ月経ったとき、年を越してから春先が毎年一番おいしく感じます。つまりおいしさの種類が違うということでしょう。でも新鮮なジャガイモ、新鮮なカボチャという表現はやはり違和感があります。
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2011年09月21日

田舎のフランス料理の見極め方

先日、県内のシェフと東京のシェフ(見ると結構な有名揃い)が連携して、地域の食材を使ったメニュー開発の取り組みが全国版のニュースで紹介されていました。もともと県の商工会連合会の主催だったので事前には聞いていましたが、その様子はほとんど県内のシェフが東京のシェフに教えを請うといった様子でした。

その中で、フランス料理の修業をして親の店に戻ってきた息子が、昔からの常連さんが好む大衆的な洋食ではなく本格的なフランス料理を展開していきたいという、まあよくある話が取り上げられていました。ドミニク・コルビさんは当たり障りのないアドバイスをしていましたが、それで思い出したことがあります。

山梨県ではありませんが、同じようにそれまでモツ煮からラーメン、ピザといった何でも屋さんにフランス料理の修業をした息子が戻ってきて、本格的なコース料理を展開し始めたという話を聞いてきました。そのメニューを見せてもらったのですが、これが驚きです。

何が驚いたって、日本語のメニューはさておき、併記されているフランス語が間違いだらけなのです。その場でも明らかな間違いにいくつか気付き、確かこれは違ったような気がしたというものを帰ってから調べてみると、A4紙1枚のコース料理の中で何と20ヶ所ほどもスペルミスがありました。

たかが誤字ではないのです。考えてみると、数年あるいは10年ほど修業した20代や30代前半の若者が、都会で料理長やオーナーシェフになることなどは通常考えられません。それが実家が飲食店をやっているという理由だけで、田舎に帰ればそのような身分になるのです。フランス語の理解が十分でないことは、料理の理解が十分でないことをどうしても想像してしまいます。

どうせ田舎の人はわからないだろうという意識で適当なフランス語を書いたのであれば、思い違いもいいところです。私たちが住んでいる八ヶ岳南麓もそうですが、今は人の流動化が激しく、都会で十分な食体験を持った大人がたくさん田舎に来ているのです。そのような浅薄さはすぐに見透かされてしまいます。

大事なことは、間違ってフランス語を覚えてしまったのではなく、自信はないけれど多分こういうものだろうという意識で書いてしまっていることです。自信がなければ正しいものを調べるのが良識というもので、その姿勢が間違いなく料理にも出ていると思われるからです。こういうことはほかのあらゆることに言えると思います。

何度か紹介したかと思いますが、私の好きな言葉に、アラン・デュキャス氏の「料理人として一番大事なことは性格の良さだ」というものがあります。また、ある料理雑誌の出版社の社長は「性格が料理に出る」と言っていました。私も自分で少し料理をしますので、その意味はよ〜くわかります。

そのお店については、初めはこんな田舎で面白いなと興味を持ったものの、この一件で絶対に食べに行きたくないと思ってしまいました。初めて行こうと思う店のバロメーターとして、この原語表記の正確さが挙げられると思います。端的に言えば、そのような原語は書かなければいいのです。難しいことを易しく伝える、これがプロの姿です。
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2011年06月02日

ひどすぎるオールアバウト

各分野の専門家が生活に関する情報をわかりやすく解説するオールアバウトというサイトがあります。この中のフランス料理に関する記事をときどき読んでいますが、内容というより執筆者の資質を疑問視してしまうことが散見されます。それは専門家では考えられないような誤字がいくつもあるからです。

たかが誤字、と思うかもしれません。キーボードで文字を入力する習慣となった今、単なる変換ミスではないかと思うかもしれません。しかし物書きにとって言葉は命であり、一つ一つの言葉の意味を深く理解し、たとえ入力ミスや変換ミスであっても画像情報としての文字に違和感を感じ、その場でなくても推敲するはずですからその時に気付いて当然だと思うのです。

これまであった例をいくつか挙げます。

「デュラムセモリナ」のことを「デュアルセモリナ」と書いています。これはデュラム粉というものがあるという知識が前提にあれば、間違うはずのないことです。

「ブランドブラン」のことを「ブロンドブラン」と書いています。これは白ブドウだけから作られたシャンパンのことで、直訳すれば白の白です。確かにシャンパンはブロンド色かもしれませんが、これでは意味をなしません。

「オーベルジュ」のことを「オーヴェルジュ」と書いています。「ヴェ」と表記するといかにも外国語っぽい感じがするかもしれませんが、原語はauberge、どこにも下唇を噛むスペルはありません。

「居抜き」のことを「射抜き」と書いています。外食産業に携わる者なら間違うことのない専門用語ではありますが、初めに音で「いぬき」と聞いたときに、果たしてどういう意味だろう、どういう字だろうと調べてから使うのが物書きの良識だと思います。

たかが誤字ではありません。こういうレベルの間違いがあると、その内容の信憑性、信頼性にまで影響してくると思うのは私だけではないはずです。もう一ついつも気になっているのは、文脈とはあまり関係のない知識や経験のひけらかしです。それは読者のためでなく、自己の尊厳欲求から来るものと解しています。

以前にも書きましたが、恐いのはこのような誤った情報が世間一般のスタンダードとなることです。編集者のチェック機能の不在という、根本的な問題もあるかと思います。
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2010年12月16日

食の宣伝文句に騙されないように

ネットで紹介されていた食品の通販サイトを見て、なるほど世の中知識差がビジネスになるのだなと改めて思いました(ほとんど呆れていますが)。それは1パック1,500円もするカレーなのですが、その作り方が画期的、究極、まったく新しい手法なのだそうです。よく読んでみると、小麦粉を使わずに野菜でとろみを付ける、チキンブイヨンのほかに野菜や昆布の出汁も使っているということです。どこが画期的なのだか。

もう一つ、以前から気になっている新聞の広告記事があります。和風出汁の製品紹介を、新聞社の女性記者がレポートしています。何でもその出汁を作るのに、昆布を一晩水に浸し、弱火でじっくりと加熱し、沸騰する前に取り出し、鰹節を投入するという“気の遠くなるような作業”を経ているとのこと。何が気の遠くなるようなのか、ごく普通ではないか。

いずれもこの当事者達の無知をさらけ出しているほかならないだけで、それでもこういうことに感動して購入してしまう消費者が少なからずいるということも、また事実のようです。私からしてみれば、これらはほとんど詐欺に近いものです。

労働者が自分の身を守るために労働関連法規を勉強するといいといつも言っていますが、消費者も食に関する情報を自ら集める努力を怠ると、こういうものに引っ掛かってしまうでしょう。
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2010年08月24日

「号泣」と「目から鱗」

食の番組に限りませんが、最近のテレビで特に気になっている表現を2つ。この前の日に小学生料理選手権という番組を見ていました。CMに入る前に、「この後、号泣」という字幕が出たのでもしやと思っていたら、それは号泣ではなくべそをかいていただけでした。

同じように、ある芸能人の名前を出して「号泣」という表現をよく目にします。号泣とは声を出してわんわん泣くことを指す言葉なのに、今では単に泣くことを大げさに「号泣」としています。これでは子供たちが間違って意味を覚えてしまいます。

もう一つは「目から鱗」です。これは本来、自分で知っているようなつもりでいたことについて、本当はそういうことだったのかと改めて気付かされたときに使う言葉のはずです。ところが今では、単に知らなかったことを聞いたときに「目から鱗」と表現しています。クイズ形式の情報番組で芸能人が使うことが多いですね。

食の分野では以前にも指摘した「秘伝のタレ」がいまだに跋扈しています。タレという言葉の枕詞になっているようで、鰻や焼き鳥などの映像が出るともうヤバイなと思い、案の定このフレーズが出てきます。

ほかに以前から思っているのには「天才」「神話」「伝説」「守護神」といったものがあります。いずれも安易に使いすぎ&ステレオタイプの表現となっています。アナウンサーというより、放送作家や編集人の問題でしょう。
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2010年07月30日

先人の言葉を盗用するな

テレビ番組だから編集の都合で真意が伝わらなかったかもしれませんよ。だとしたらその後のナレーションには著しく配慮を欠いたのではないでしょうか。

食べもの関係の番組で毎週見ているものに「食彩の王国」があります。実際にはパソコンで予約録画して後日見ているので、先々週の放送になるでしょうか、三國清三シェフが出ていた毛ガニの回です。

シェフが熱っぽく語るその言葉に、「火を通して新鮮、形を変えて自然」が出てきて、おやっと思いました。番組側も、それは意外、でも聞けばなるほどと賞賛していました。でもこの言葉はもともと三國さんのオリジナルではありません。

現職は存じ上げませんが、当時志摩観光ホテルの総料理長だった高橋忠之さんの有名な言葉です。世代としては三國さんの方がもちろん下ですから、おそらくどこかで聞いていたのでしょう。もしオリジナルだとしても、ここまで一字一句同じであることは考えられません。

番組収録時には、「〜という某シェフの言葉があります」という風に三國さんは話していたのかもしれません。だとすればその後のナレーションでことさら取り上げるべきではないでしょう。何しろ三國シェフが主役の回ですから。

この真実を知らないで初めて聞いた若い料理人などは、「〜という三國シェフの言葉があるんだよ」などと言って伝播していくのでしょうね。このことはまるでフィリップ・マーロウの「ギムレットにはまだ早すぎるね。」と同じです。

高橋シェフにはもう一つ、「かまどの詩人になってはいけない」という言葉があります。これは料理人はただ料理のことを考えているだけではいけない、経営全般のことを考えなければいけないという意味で、ご自身がそれを実践されていました(その後ホテルの総支配人になられたようです)。

それにしても昨今の食べもの番組、ひとこと言いたくなることがずいぶんと増えたような気がします。
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2009年06月21日

特徴のない食材がいいのか

全国各地での野菜工場の稼働が話題を集めています。政府も補助を決め、これで少しでも食糧自給率を上げようということのようです。温度や肥料などが徹底管理され、農薬や害虫の心配もないということで、スーパーや飲食店からの引き合いも強いようです。

先日の新聞にその特集記事がありました。その初期投資の大きさから店頭での価格競争力が課題で、これを補うには味で工夫しなければならないと、あるシンクタンクの方がコメントしていました。その味とは・・・。

「野菜特有の苦みを少なくする」ことなのだそうです。まず苦い野菜とは何でしょう。チコリ、エンダイブ、レタスといったところでしょうか。同じ葉ものでもキャベツやホウレンソウなどは甘く、ホウレンソウの嫌みは苦みではなくえぐみですね。

エンダイブは別名ニガチシャと呼ばれ、こうしたキク科の野菜はその苦みがうま味なのではないでしょうか。春先の野菜、例えば山菜や菜の花なども苦みを伴っています。野菜特有の苦みを少なくすることは、野菜本来の味を殺すことになるのではないでしょうか。

もともと露地でもハウスでも、スーパーなどで売ってる野菜は味が薄いのです。工場の野菜はさらに特徴がなく、ある有名総菜店ではこの点が工場野菜を使えない理由であるとしています。

肉などでも特有のクセがないことがおいしさを説明する表現として使われています。これでは何を食べているのかわかりません。この風潮、非常に嘆かわしいこの頃です。
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2008年12月17日

金たわし混入、再び

飲食店での食事に異物が入っていたことはこれで4回目です。しかも金たわしは2回目です。前回は大きなお店でしたが、今回は個人経営のごく小さなお店ですので、名前は伏せておきます。

前回も指摘したように、厨房で金たわしを使ってはいけないのです。これに代わるものはあるはずですし、実際大手チェーンではだいぶ前に大きな事件があったことから全面禁止しています。金たわしに限らず、混入する恐れのあるものを一つ一つ徹底的にチェックし、対策を講じないといけません。

席で指摘するとすぐに店主が飛んできて詫び、代金を受け取らないという対応に出たのは、飲食店としての常識です。私たちはクレーマーではありませんから、それで十分です。飲食店ではありませんが、以前驚くべき対応に出たお店がありました。

コンビニでレタスが入ったサンドイッチを買ったときのことです。朝食用にと思ったのですがたまたまお腹が空いていなくて、夕方に食べようと袋を開けたとき、レタスの上でアオムシが動いているのが見えました。もし朝に開けていたらレタスの中に隠れていて、多分アオムシも食べています。すかさず買ったコンビニに行って店長を呼び出してもらうと、何と一言も謝らずに「本部に言っておきます」とだけ答えました。

後日本部の人が菓子折を持って自宅を訪れましたが、ほどなくそのコンビニの隣に競合店ができ、そのお店は閉店してしまいました。推して知るべしです。直接自分に非がなかったとしても、客に嫌な思いをさせたことをまず謝罪するのは基本中の基本でしょう。

ちなみに飲食店での食事で4回というのは、あと2回は髪の毛とやはりアオムシです。パスタに長い髪の毛が入っていたときは、当然作り直してもらいました。髪の毛は客である自分のものである可能性もありますが、坊主頭の私のものであるはずがありません。その意味で、厨房では完全に髪の毛の隠れる帽子をかぶるか、全員スキンヘッドにしないといけません。

もう1回のアオムシは、デニーズでの朝食です。サラダの上で動いていました。当然作り直してもらいましたが、代金も払い、とりたてて騒ぎませんでした。今は大変なクレーマーがいますから、お店にとっては客が私でよかったということになります。
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2008年08月29日

“グルメ”と呼ばないで

確かに食にはこだわっています。日々の生活の興味の中心は食事であるし、一日に三度しかない機会においしいものを食べたいと思う欲求は人一倍強いと思います。

ところがそのようなこだわりを特に仕事関係の人に話をすると、みな判で押したように「グルメですね」と直接・間接に反応してきます。gourmetというフランス語は美食家と訳されることが多いようですが、日本でのイメージは金に糸目を付けずに高級料理を食べて論評する人ということになってはいないでしょうか。

私たちは確かに食にはこだわっていますが、高かろううまかろうについてはまったく評価していません。高くてうまいのは当たり前、うまいのにリーズナブルな値段に価値を見出し、そこにこだわりを持っているわけです。

その意味で、世間一般に解釈されるような意味合いで「グルメですね」と言われるのは毎回抵抗を覚えます。安くておいしいものを食べたいのはいわゆるグルメな人たちに限らず共通なはずで、その意味では程度の差こそあれ誰でもグルメではないでしょうか。

テレビではいわゆるグルメ番組が相変わらず盛況なようですが、視聴者の無知をいいことに大げさに持ち上げる演出に辟易として見ていながら、その料理に対する価値として値付けが妥当かどうかという眼を持って臨む毎日です。
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2007年12月12日

食に携わる者のレベル

この時期毎年恒例の清水寺、今年の漢字は食品偽装の「偽」だそうです。思えばいろいろな不祥事がありましたが、共通して感じるのは当事者の対応能力の低さです。今年だけのことではありませんが、すぐに思い浮かぶだけでいくつか象徴的なことがあります。

雪印食品の社長“私は寝てないんだ”、ミートホープの社長“安いものを求める消費者が悪い”、赤福の社長“早く営業を再開したい”、そして今回の吉兆のもろもろの対応、どれもいわゆるKYとして括れるのではないでしょうか。

特に吉兆の件は憤りを通り越して滑稽です。先の母親が同席した取締役の謝罪会見では、いい年した大人が、それに名門料亭の取締役が母親の指示通りに発言しているとか、その母親の指示がしっかりとマイクに拾われてしまっているとか、そんなこともわからない母親の会社における存在感とか、言葉もありません。

その前の、別の取締役による会見もお笑いです。賞味期限の改ざんなどは一人のパートタイマーの一存で行ったことであるという会社から提示された書類にサインするよう求められたその当事者のパートタイマーがニュースに出て、そのことを記者会見で追求されると、“そのことを否定する資料があります”とのたまわりました。身に覚えがなければ“そのような事実はない”とするのが当然でしょう。これでは“そのこと”を認めた回答になっています。なぜ質問した記者はそれを突っ込まなかったのだろうと不思議でたまりません。

この一連のことを見ていると、残念ながら食に携わる人のレベルの低さを痛感せざるを得ません。そんなことで世間を欺き通せるという感覚が、まさに世間離れしています。褒められたことではないですが、これまでの金融不祥事などで国会の証人喚問までに立たされた経営者の対応を見ると、悔しいながらそうしたヘマ、ドジ、しっぽを捕まれるような発言はしていません。

食に関わる者としては本当に悲しい限りです。何とか責任逃れをするためにとりあえず現場のせいにする初期対応のまずさから、最終的にはどんどんイメージを悪くしてしまう、そしてそのようなことですり抜けられるという世間をなめているとしか言いようのない感覚が残念でなりません。だから料理はおいしいけれどすぐに閉店してしまうお店や、マスコミにちやほやされて天狗になって堕ちていく料理人が後を絶たないのです。

かつての山一証券の社長のように、“私が全部悪い”という経営者が出てこないものでしょうか。もっとも、あの件も特に海外ではその異常さが取りざたされていたようですが。
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2007年11月25日

東京ミシュランで思い出したこと

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ミシュランガイドの東京版が発売されてかなり話題になっています。正直、一グルメガイドがこんなにテレビや新聞で大きく取り上げられるとは思いませんでした。

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早速amazonで取り寄せたところ、まずその見せ方にびっくりです。フランスのミシュランガイドなどはこんな写真は載せていないですよ。これではこれまであった巷のガイドブックと変わりません。見田盛夫さんの「エピキュリアン」でも写真はありません。

私がミシュランガイドを気に入っていたのは、その情報量です。何しろ掲載されているお店の数が多い。そして何かと星付きが話題になりますが、そうでない方のお店も実に興味深い。星は付かなかったけれど今後期待ができるといったマークや、とにかくコストパフォーマンスが優れていてお得といったマークなどがあり、読んでいて飽きが来ません。

今回の東京版は星の安売りだとか、しかるべきお店が評価されていないといった声もあり、私も個人的にはそう思います。これでは一般のガイド本のone of themとなってしまいます。とにかくフランス版のような圧倒的な情報量がほしいところです。紙面一杯に細かい字だけで書かれた情報を時間をかけて読み解いていく楽しさが、本来ミシュランにはあるはずです。

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ところでこのミシュラン騒ぎで、もう一つのミシュランを思い出しました。奥付を見るとちょうど20年前に出版された「極楽スキー」という本にある「ゲレンデミシュラン」です。「私をスキーに連れてって」をプロデュースしたホイチョイプロダクションによるものです。その中で各スキー場をミシュランよろしく星を付けて格付けしています。この頃はスキーブームの絶頂でした。

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三ツ星は奥志賀焼額とニセコでした。一方、無星の蔵王を相当こき下ろしていて、それに反論する蔵王の広告もあったりして、今読んでも大変面白い内容になっています。蔵王には昨シーズン久しぶりに行きましたが、そんなに悪くなかったですよ。

そろそろスキーシーズンです。
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2007年06月03日

“コンソメだけ”はないだろう

食に関するテレビ番組は毎週パソコンで録画し、DVDに焼いて見ています。もっとも、何度か記しているように夕方のニュース番組における、例えば食べ放題とか1,000円ランチといった特集コーナーは情報の確度があまりよくないので、時間が合えばテレビをつけている程度です。

情報の確度とはそのお店が本当にお得であるかどうかということではなく、食に関する情報が正確かどうか、新たな知識を吸収するのに役に立つかどうかということです。その意味で「食彩の王国」という番組は毎週一つの食材にスポットを当てて掘り下げていく、比較的アカデミックな内容で気に入っています。

しかし昨日放映された牛乳の回では、一つ誤解を招きそうな箇所がありました。牛乳を使った簡単料理として新じゃがと空豆を使ったスープが紹介されていたのですが、“味付けはコンソメだけ”と来ました。

おそらくこれは市販されている固形コンソメのことを指しているのでしょうが、本来コンソメスープを作るのは大変な手間と材料、コストがかかるものです。レストランでただ澄んだだけで具が入っていないコンソメスープがそれなりの値段がするのは、ちゃんと理由があるわけです。

私が危惧するのは、コンソメスープはコンソメの素をお湯で溶けばできると考えてしまうのではないかという安易な発想です。あれは旨味調味料も入った人工的な味で、本来のものを知った上でそれを代替する手段として手軽に使えるといった認識が必要に思います。

時間がない主婦のためにいかに簡単に料理ができるかといった点が様々なところでクローズアップされていますが、一方でそうした代替調理はもともと何であったかという啓蒙活動も、マスコミに求めたいと思います。
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2007年05月09日

オーナーシェフにまで登りつめた?

どうも日本語がおかしいです。夕方のニュース番組ではよく食に関するコーナーがありますが、今日は和洋中の各シェフが家庭でもできる10分料理を競い合うというものでした。

そのシェフを冒頭に紹介するくだりの中で、“数々の名店を渡り歩き、ついにオーナーシェフにまで登りつめた”とありました。「登りつめた」という表現を使うのであれば、一つの組織の中でコツコツと出世を重ね、その結果最高位についたという場合ではないでしょうか。“○○ホテルの総料理長にまで登りつめた”など。

オーナーシェフというのは独立して自分の店を持てば誰でもそう呼ばれるわけで、何も料理人の最高位がオーナーシェフというわけではありません。うがった見方をすると、上記の表現は“どの店でも使い物にならなくて店を転々とし、最後にはどこも雇ってくれないから自分の店を開いた”という場合にも使えます。

このケースに限らず、どうもマスコミにおいて原稿を書く人間の日本語力が明らかに落ちているような気がします。昨日も連発していましたよ、“秘伝のタレ”を。
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2006年11月29日

「秘伝のタレ」はもうやめよ

毎日必ず食べ物に関するテレビ番組があり、極力見るようにしていますが、何しろその表現のステレオタイプ化、ボキャブラリーの貧弱さといったらたまりません。最近は映像を見ただけで次に出てくる言葉が想像できてしまいます。

その代表が「秘伝のタレ」です。鰻、天丼、焼き鳥、何でもタレの映像が出てくると大抵はこれです。本当に秘伝か?門外不出か?といつも思ってしまいます。

そりゃタレ一つ作るのだって考え、こだわり、独自のものを開発していることはわかります。それを何でもまとめて「秘伝のタレ」と画一的な表現にしてしまうのはいかがなものでしょうか。中には秘伝でも何でもなく、アルバイトにも作り方を教えているお店もあるでしょう。

もっとひどいのは「秘伝のタレの作り方」などとテレビでやってしまうことです。どこが秘伝だって。
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2006年07月10日

イタリア料理って何?

昨晩の「情熱大陸」というテレビ番組で、山形県庄内地方で奮闘するイタリア料理のシェフが取り上げられていました。番組的には、あの落合シェフが訪れたことでハクが付いたような印象です。

その落合シェフに供された料理の数々が紹介されたのですが、その中で地元で揚がったブリを切って満月の塩(満月のときの海水からできる塩、詳細は省きます)とオリーブオイルをかけた前菜がありました。

以前からいつも思っているのですが、これがイタリア料理というものなのでしょうか。よく言われる“マンマの味”というのは、いわゆる家庭料理であると理解しています。今回の料理も素材が揃えば済むもので、そこに料理の技法というものの介在を感じられません。

私が外食をする理由は、家庭では作れないものを食べに行くからです。その際たるものがフランス料理だと思っており、同じ素材があっても同じ料理はできないと思うからこそ、原価の3倍もかけて外に食べに行くのです。そこにはプロならではの“技法”が存在します。

くしくもあの「北島亭」の北島シェフも、“こんなの家庭ではできないでしょうというのが嬉しいんです”と言っています。それがただ焼いただけの肉であってもです。

正直、イタリア料理については勉強不足のところもあるので、イタリア料理を原価の3倍かけて食べに行く理由を教えていただければ幸いです。
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